遺乞いの場

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【本】世にも奇妙な人体実験の歴史

世にも奇妙な人体実験の歴史

世にも奇妙な人体実験の歴史

kindleで読んだ)

タイトルの人体実験というワードから、マッドな研究者が被験者を痛めつける図が浮かびそうだが、人体実験といっても医者や科学者・開発者本人が被験者となる「自己実験」を取り扱った本である。(研究者=被験者が痛めつけられていることは変わりないが)
なお原題はSmoking Ears and Screaming Teeth『煙を吐く耳、悲鳴を上げる歯』(訳者あとがきより)で、本文を読むとなるほどね!と納得できるしゃれたタイトルだ。

邦題では「歴史」とあるが、実際は章ごとにその分野で行われた自己実験を語っており、(巻末に向かうに連れて時代は下るが)歴史を追っている本ではない。医療、食事・栄養、寄生虫放射線、兵器、乗り物、サメ(堂々の単独章)など、全17章で対象となっている分野は多岐にわたる。
著者は元々海洋生物学を専門としていた研究者で、引退後にポピュラー・サイエンスの執筆業をしているとのことで、専門家の物語を一般向けに大変わかりやすく解説してくれている。

本文ではその技術の基本的な話や、自己実験者のプロフィール、実験にいたるまでの経緯などの事前情報が書かれているので置いてきぼりになる事はない。また、書きかたもたまにジョークが入るくらいで茶化すような要素はなく、割と淡々としているので悪趣味感はほぼない。
取り上げる実験の大半は被験者が生還しており、エグい描写もないのでグロ苦手でも問題ないと思う。(ただし痛そうな話がダメだったら避けたほうが無難)

取り上げられる自己実験者はあらゆる理由で実験に及んでいる。たとえば第一章に登場する18世紀イギリスの医師ジョン・ハンターである。外科医として有名な人物だが、ダーティーな方法で解剖の献体を入手していた事でも知られる。(この人については型破りストーリーが色々ありそうで気になるので機会があれば別途調べたい)
当時としては珍しい実験主義者だった彼は、淋病と梅毒は同じ病気で、進行具合によってそれぞれの症状がでているという仮説を立て、それを自分の身体で実験した。
一章は解剖学に関する説明などにかなりの分量が割かれているのでこの部分の記述はすごくアッサリしているのだが、梅毒の危険性は良く知られていた時代だったのに、医者本人が自ら感染するとはどういう心理なのか?と大変戸惑う。
著者はハンター自身が被験者となった理由について、1.梅毒にも淋病にも感染していない必要がある。2.部位が部位なので頻繁に観察できる相手は限られる。の2点を挙げており、確かに条件に当てはめれば本人が被験者になるしかなさそうだけど、ハンター先生!仮説が証明されると同時に自分も感染なさりますが!??と思わざるを得ない。

研究者達が自身にダメージが想定され、時に不可逆な事態になりかねないのに実験に挑んだ心理が未だにのみこめないが、あとがきでの解説などを参考にすると「専門知識のある自分が被験者になれば反応の解析がすぐできるし、有事に対処できるから」といった考えもあったそうだ。
彼らは自分の行く末がわからなくなるような狂気に駆られていたわけではなく、研究者として合理的に考えた結果「他の人にやらせるわけにいかないし、俺でいいじゃん。」となったのかなと考えると、命は大事になされよ…と感じると同時に、彼らの勇敢さ(?)のおかげで自分の豊かな生活があるのだと思って感謝しようと思った。